2025/02/12 14:01


私が大切にしていること。

それは余白を持つことです。


暮らしに余白。
心に余白。


余白がないと、
自分にとって本当に大切なものに
気づくことができないのです。


その原点は、私の幼少期に遡ります。


私は幼少期は田舎で過ごしました。
受験塾もないし、当時は、コンビニエンスストアもないような、素朴な田舎町で育ちました。

子供の頃の私の楽しみは
道端に雑草のように生えている野いちごを食べること
庭に落ちているしいの実を拾って、家で炒めて食べること
落ち葉を拾ってバラの花を作ること
そういう自然遊びが大好きな子供でした。

大学生になる時に、医学部に進学して、都会に出てきました。
都会は新しい流行のお店がたくさんあるし、とても刺激的でした。私もそういう珍しいものを見ることにワクワクしましたし、都会の暮らしについて行かないと友達が出来なくなるように考えていました。たぶん寂しかったですね。

そのような暮らしなので、大学1年生の時の私は、都会の生活に慣れるのに精一杯でした。そんなある日、公園の片隅に小さな花が咲いているのを見つけました。他の人が見たら、雑草のように見える花かもしれません。でも、私にとっては、小さいけれども、とても愛らしくて美しい花だったのです。その花をみつけて、じんわり温かくなり、心やすらぐ気持ちになりました。懐かしいせつない気持ちです。

その時、私は気がつきました。
自分の「好き」をキャッチするアンテナの感度がすごく下がっていたことに。

本当は私はこんな素朴な自然の美しさに触れることが大好きだったはず。 それなのに都会にでてきて、皆に合わせて流行のお店に行ったり、世の中の多くの人にウケがいいお洋服を選ぶことに時間を使っていました。寂しさのあまりに、他の人の価値観に合わせることばかり当時の私はしていたんですね。自分の心をみつめる時間を持てず、本当に心から自分が好きなことを見失ってしまってたのです。


そう、私には余白が全くなかったのです。田舎から出てきた自分に劣等感を持ち、寂しくて、都会の暮らしに合わせることに精一杯だったのです。


自分の「好き」に鈍感になると、真の幸せから遠くなります。他人の価値観に流されてしまうのです。

自分の「好き」に敏感になるためには、余白が必要です。忙しすぎると、人は目の前のことに追われて精一杯になり、自分の心に鈍感になってしまうんです。本当に自分が好きなことを貫くのは、意外と難しいものなのです。
自分の好きを貫くよりも、他人の価値観で生きていく方が、人間って、楽なんです。
なぜなら、深く考えなくてすむからです。

私は自分の「好き」に敏感な人でいたい。
それが私の心の底から満たされ、癒されることだから。
人生を終わりにするとき、私はこれで良かったんだって思えるような生き方をしたい。
他人の価値観に振り回されることはしたくない。

いつでも自分の「好き」に正直でありたいです。
だから、私は余白を作ります。余白を守っていきます。


どんなときも
道端に咲いている小さな花の美しさに気づき
ときめくような心を
持てるような自分でありたいです。


YOHAKUNO-BI

土田香菜